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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

北極点への挑戦

近年の北極探検史は北極点への挑戦がほとんどです。1896年にはナンセンがフラム号による極地海盆横断漂流により、極点は北極海を漂流する氷板に覆われたどこかにあって、計器により数理的に決定すべき点である事を証明しました。
それ以来、北極点到達は、純粋に冒険事業となりました。この冒険で出来る事と言えば、北極点まで一気に驀進(ばくしん)した後、急いで陸地に戻る事だけです。
1909年に2つの北極点到達声明が出されました。最初は、フレデリック・クックが1908年4月21日に極点到達後デヴォン島で越冬したと言う声明でした。その直後にロバート・ピアリーは彼と従僕のマシュウ・ヘンソンそして4人のイヌイットが極点に1909年4月4日に到達したと言う声明を発表しました。
両者とも新しい陸地を発見したり科学的貢献をしたりする事にはほとんど関心が無くて、自分の国の旗を地球のてっぺんに建てたかっただけなのでしょう。

北極点到達はクックかピアリーか、両者ともか、それともどちらでもないのかの議論が長い間続きました。何十年も閉ざされていた古文書記録や当時の装備事情、最近では良く分かっている北極海中央部の流氷群の性格などを考慮した多くの専門家は「どちらでもない」の答えを出していますが、それでも両者には熱烈な支持者がいます。

もう一つの消えていない北極点到達議論は、リチャード・バード大佐(米)と副操縦士のフロイド・ベネットが1926年5月9日に北極点上を飛行したと言う事についてです。報道によれば、彼らはジョセフィーン・フォード号と名付けられたフォッカー三発機でスピッツベルゲンから飛び立ち、極点上空に着いた後、同日帰着したとの事です。最近の批評家たちは航空機の性能について疑いを持っていますが、それに答えるべき両者共もうこの世にはいないのです。
バード飛行に関する疑惑はかなりなものなので、結論としては「到達は立証されていない」というのが現実的でしょう。

バード飛行の3日後に同地域のイヌイットは大きなクジラのようなものが空に浮かんでいるのを見ました。
実はそれは極点を通過してスピッツベルゲンからアラスカまでの70時間飛行をしていた飛行船ノルゲでした。
ロアール・アムンセンとリンカーン・エルズワース(米)が率い、この飛行船の設計者でもあるウンベルト・ノビレ(伊)が操縦士です。
飛行装備にはテント、寝袋、かんじき、スキー、銃器、ソリ、カンバス地のボート、そして16名用2か月分の食糧などが積まれています。
北極点に到達した日は美しい日で上空100㍍未満まで降下してノルウェー、米国、イタリアの国旗を落としました。
この探検後アムンセンとノビレは仲たがいしましたが、後にノビレが自分の探検で一時的に行方不明になった際にアムンセンは救助に向かい、その途中の飛行機事故で死亡しました。(この推移は映画「Red Tent」で描かれています)

1948年にはソ連のアレキサンダー・クズネツォフと23名が北緯90度近くに飛行機で降り立ち極点まで歩きました。これが正式記録に残る北極点初到達です。

次の大きな北極点到達は1958年に世界初の原子力潜水艦ノーチラス号(米) が潜水したまま極点を通過して横断した事です。
8月の海氷の下を4日で通過し、アラスカからグリーンランドへの航路を確立しました。その7か月後、同様の潜水艦スケート号は機密ルートで通過した際に、初めて極点で氷を突き破って浮上しました。

スノーモービルによる片道北極点到達は、1968年にラルフ・プレイステッド他3名のアマチュア探検家でした。
彼らは航空機の補給を受け、業績は復路の出迎えに来た米空軍気象観測機が確認しました。翌年、ウォーリー・ハーバートら4名が犬ゾリ隊でポイント・バローから北極点経由でノルウェーまで横断しました。彼のルートは他の誰よりも長かったようです。彼は14ヶ月の間に2,000㌔を踏破しました。ハーバート(英)は作家でもあり、クックとピアリーの記録を綿密に分析した結果を書いていますが、それがさらに議論を呼び、結論を導くまでには至らなかったようです。

1977年にソ連の原子力砕氷船アークティカが最初に船として北極海の氷海を航行し、北極点に到達しました。
翌年、植村直己が北極点まで犬ぞり単独行を達成しています。
植村は14~17匹の犬にソリを引かせ1978年3月6日コロンビア岬を出発し北極海を800㌔走破して4月29日に極点に着きました。氷丘脈に悩まされ、ホッキョクグマに食料の多くをだいなしにされてしまった事もありました。

「北極点初~」という冠がつくものはほとんど達成されてしまっていますが、北極点は今も世界中の探検家を魅了し続けています。
広く公表されているものやそれほどでもないものもあります。
1986年5月1日、男性5名と女性1名の犬ゾリグループが途中補給なしの最初の北極点到達グループとなりました。ポール・シュルケとウィル・スティーガー率いるグループでした。同隊の女性アン・バンクロフトは女性最初の北極点到達者となりました。

彼らの行程中偶然、フランスのジャン・ルイ・エチエンヌが極点に単独行しているのに出会いました。
エチエンヌは1986年5月11日に極点に到達しました。(その時の縁でスティーガーとエチエンヌは1989年に南極大陸横断踏破行を共に成功する事となったのです。)
1992年にヘレン・セイヤーは女性で初の単独北極点到達に成功しました。
また、1994年4月にはノルウェーの探検家ボルゲ・ウスランドが途中何の援護や補給も受けず、犬の力も借りずに北極点に無支援で到達した初めての人となりました。

北極探検の歴史は常に人類の目的達成の熱意の強さを示してきました。
なぜ北極がそれほど人を引き付けるのか、を説明するのにシュルケ・スティーガー隊の隊員はこう言っています。
「北極行は希望を象徴していると思います。人にはとても不可能だと見える目標をどこにでもいそうな人が叶える、そんな希望をね。」

(北極旅行&北極クルーズ3-6)