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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

オットセイ

キャプテン・クックが「オットセイが非常に多い。」と報告し、1786年には最初のオットセイ猟師が捕獲するためにやって来ました。
主に米国と英国からさらに多くの猟師がそれに続き、1825年までには推定で120万枚もの毛皮が収獲されて、サウスジョージアのオットセイはほぼ絶滅してしまいました。1870年台には一旦、毎年数百枚を収獲できる位までに回復しましたが、最後のオットセイ猟船は1912年のベンジャミン・D・クリーブランドが乗った帆船デイジー号でした。

大きなオットセイの雄獣はモリで刺殺しましたが、他は撲殺しました。
その場で皮を剥ぎ海水で洗った後樽に塩漬けにしました。
多い時で1日に50頭の皮を剥ぎました。

オットセイ猟師の生活は悲惨なものでした。寝泊まりは良くて洞穴で、多くはボートを逆さまにしたものや、石を積んで作った壁に帆布を屋根代わりにした掘立小屋でした。海岸周辺には、今でもその頃の小屋の残骸をいくつか見る事が出来ます。
凍るような天候の中嵐に吹かれ、海水につかる生活はみじめなものでした。
さらに、ボートが難破して溺れ死んだり、置き去りにされたりする危険一杯の生活でした。ですから、猟師たちが手当たり次第大量殺戮したのも驚くほどの事ではありません。そうすれば、早くサウスジョージアから帰れますから。

米国の猟師は毛皮を広東(中国)に運び、英国の猟師はロンドンの毛皮市場に出しました。長い外毛は剃ってしまい短くて柔らかい内毛をフエルト状にして帽子を作りました。

(南極旅行/サウスジョージア島21-1)