クォーク・エクスペディションズ社 2017年 北極旅行&クルーズ
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歴史彩る北極点で想いを馳せる…北極点への挑戦  The Quest for the North Pole近年の北極探検史では北極点への挑戦がほとんどです。1896年、ナンセンがフラム号による極地海盆横断漂流で北極点は北極海を漂流する氷板に覆われたどこかにあって、計器で数理的に決定すべき点である事を証明しました。それ以来、北極点到達は純粋に冒険となりました。1909年に2つの北極点到達声明が出されました。最初は、フレデリック・クックが1908年4月21日に極点到達後デヴォン島で越冬したと言う声明でした。その直後にロバート・ピアリーは彼と従僕のマシュウ・ヘンソンそして4人のイヌイットが極点に1909年4月4日に到達したと言う声明を発表しました。北極点到達はクックかピアリーか、両者ともか、それともどちらでもないのかの議論が長い間続きました。もう一つの消えていない北極点到達議論は、リチャード・バード大佐(米)と副操縦士のフロイド・ベネットが1926年5月9日に北極点上を飛行したと言う事についてです。バードの飛行に関する疑惑はかなりなもので、結論としては「到達は立証されていない」というのが現実的です。バード飛行の3日後に同地域のイヌイットは、空に大きなクジラのようなものが浮かんでいるのを見ました。実はそれは北極点を通過してスピッツベルゲンからアラスカまでの70時間飛行をしていた飛行船ノルゲでした。ロアール・アムンセンとリンカーン・エルズワース(米)が率い、この飛行船の設計者でもあるウンベルト・ノビレ(伊)が操縦士でした。北極点上空に到達後、100m未満まで降下してノルウェー、米国、イタリアの国旗を投下しました。1948年にはソ連のアレキサンダー・クズネツォフと23名が北緯90度近くに飛行機で降り立ち極点まで歩きました。これが正式記録に残る北極点初到達です。北極探検の歴史は常に人類の目的達成の熱意の強さを示してきました。なぜ北極がそれほど人を引き付けるのか、シュルケ・スティーガー隊の隊員はこう言っています。「北極は希望を象徴していると思います。人にはとても不可能だと見える目標をどこにでもいそうな人が叶える、そんな希望をね。」12

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