ポセイドン・エクスペディションズ社 2018-19年 南極&北極クルーズ
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サー・アーネスト・シャクルトン(Sir Ernest Henry Shackleton)1874年2月15日 - 1922年1月5日アイルランドのキルデア生まれウェッデル海側から南極点を経てロス海に到達する史上初の南極横断を目指し、1914年12月5日、サウスジョージア島を出港したエンデュアランス号は、1915年1月15日、ウェッデル海で流氷に掴まり、閉じ込められ、隊が上陸する前に船が破壊されるという災難にみまわれました。隊員達は海氷上にキャンプを張り、その後、救命ボートでエレファント島へ辿り着くことが出来ました。隊員達は、エレファント島のワイルド岬で救命ボートひっくり返しその下で野営をおこない救援を待つことになったのでした。しかし、そこは絶海の孤島、誰も救援に来る見込みはありませんでした。1916年4月24日シャクルトンと5名の隊員(エンデュアランス号の船長、フランク・ワースリー、トム・クリーン、船員ジョン・ビンセント、ティモシー・マッカーシー、船大工のマクニシュ)は、嵐のスコシア海を全長7m程のジェイムズ・ケアード号で約1,500km離れたサウスジョージア島に救援を求め船出したのでした。凍てつく嵐のスコシア海を横断し、約2週間後、サウスジョージア島のキング・ハーコン湾に無事に到着する事ができました。キング・ハーコン湾にビンセントとマッカーシー、マクニシュの3名を残し、シャクルトンとワースリー、クリーンの3名は、かつて誰もが行ったことのないサウスジョージア島の山脈を36時間かけて横断し、遂にストロムネスの捕鯨基地に辿り着くことが出来たのでした。シャクルトンは、すぐに救援船を送りサウスジョージア島のキング・ハーコン湾にいる3名の隊員を救出。続いて、エレファント島にいる隊員達の救援隊を組織しはじめ、1916年8月30日、4回目の救援でエレファント島に4ヶ月半孤立していた22名の隊員達全員を救出することができました。シャクルトンはエレファント島で隊員達を救出した後、1916年12月、取り残されていたロス海支隊の救出に向かったのですが、この時点ですでに、隊長のイニーアス・マッキントッシュを含む3人が死亡していました。1921年9月24日、シャクルトンは、ローウェット南極探検隊でサウスジョージア島に向けてイギリスを出港、1922年1月4日、サウスジョージア島に到着。しかし、1月5日未明、心臓発作に襲われ死亡。シャクルトンの遺体は、サウスジョージア島のグリトビケンの墓地に葬られました。それから90年後の2011年11月27日、彼の右腕であったフランク・ワイルドの遺灰は、シャクルトンの墓の右側に埋葬されました。1904~04年1907~09年1914~17年ロバート・スコット率いるディスカバリー探検に3等航海士として参加ニムロド探検隊で南緯88度まで到達帝国南極横断探検隊7

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