クォーク社 2019-20年 南極
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探検家と科学者たちアーネスト・シャクルトン 南極地域に対する初期の認識は「地球は球体だ」と主張したギリシャの哲学者たちの知識からきていて、既に知られている北半球の大陸とバランスをとる為に「地球の南端には巨大な大陸があるはずだ」とする考えからきていました。 哲学者たちに良く知られていた北の星座、大熊座(アークトス)に対比して想像上の南の大陸をアンタークトスと名付けました。当時それは純粋に理論上の推論で、実際に具体的な事は何も分かってはいませんでした。それでも古代の想像上の大陸が描かれた地図が200年間に亘って使われ続け、その大陸をラテン語でテラ・オーストラリス・インコグニタ(未知の南の大陸)と名付けていました。以来、南極は探検の時代、アザラシ猟の時代、英雄の時代そして南極大陸征服、捕鯨の時代と時が移り、現在は南極条約に基づく国際協力の時代となっています。1914年12月に探検家アーネスト・シャクルトンは、世界初の南極大陸横断冒険に挑戦。しかし、ウェッデル海の氷塊に阻まれ、1年4か月にわたり漂流。サウスジョージア島の捕鯨基地に救助を求めるためエレファント島を出発。手漕ぎの救命ボートで荒海の南極海を越えて命からがらサウスジョージア島に到達。その後、エレファント島に残っていた隊員を全員無事に救出することに成功。1921年9月17日、シャクルトンは、再び南極探検のためクエスト号でロンドンからサウスジョージア島へ向けて出港。1922年1月4日、無事サウスジョージア島のグリトヴィケンに到着。しかし、グリトビケン滞在中に突然の心臓発作に襲われ死亡。偉大な探検家の亡骸は、サウスジョージア島に葬られています。Explorers and ScientistsExplorers and ScientistsErnest Henry ShackletonErnest Henry Shackleton南極探検の歴史(抜粋)1911年12月14日ロアール・アムンセン、人類初の南極点到達1912年1月17日ロバート・スコット南極点に到達、帰路全員遭難死1912年1月28日白瀬中尉を隊長とする「白瀬日本南極探検隊」は、南緯80度05分、西経156度37分に到達。「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し帰国偉大な探検家たちが勇気と敬意を持って挑んだ南極。現代でもなお、人類を魅了し続ける南極は、希少な観光地であると同時にかけがえのない『地球上に残された人類共通の財産』です。偉大な探検家たちが勇気と敬意を持って挑んだ南極。現代でもなお、人類を魅了し続ける南極は、希少な観光地であると同時にかけがえのない『地球上に残された人類共通の財産』です。4

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