ヘリテージ・エクスペディションズ社 2019-20年 南極・北極
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 ロス海は、1841年にロス海を発見した英国のジェームズ・クラーク・ロスに因んで名付けられました。英国王立地理学会は、ロバート・ファルコン・スコット率いる1901~04年の英国南極探検の地として、ロス海地域を選びました。 地球上で最も遠隔の地にある南極のロス海地域は、探検の歴史に彩られた魅力的な場所です。ロス海は厚い氷で覆われるため、この地域を訪れる事が出来るのは、南極の夏のほんの2か月間のみで、今迄、この非科学的で美しい地域を訪れた観光客は僅かです。 ロス海クルーズでは、経験豊富なオフィサーと乗組員、情熱あふれる知識豊かなエクスペディション・チームが、耐氷能力に優れ設備の整った探検船で壮大なスケールの南極・ロス海にご案内します。 1907~09年、アーネスト・シャクルトンのニムルド号南極探検隊は、ベアードモア氷河から南極横断山脈を越えて人類史上初めて南極高原に到達。 ノルウェーのロアール・アムンセンは、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たしました。 ロバート・ファルコン・スコットは、それから遅れる事、34日目の1912年1月17日、南極点到達を果たしましたが、帰途に遭難し、死亡するという悲劇に見舞われました。 日本の探検家、白瀬矗は1910~12年に南極点到達に挑戦しましたが、1912年1月28日、南緯80度05分、西経156度37分まで到達したところで南極点到達を断念、その地を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し帰還。 この時代の南極探検は「南極点到達レース」とも呼ばれました。 1914~17年のシャクルトンの帝国南極横断探検で「英雄」や「黄金」の時代は終りを告げましたが、この時代の多くの遺物や探検小屋は、今でも往時のままの姿を留めています。 初期の南極探検家によって描写されたエレバス山やディスカバリー山、南極横断山脈などの風景は100年前と同じように変わることなく広がっています。また、生物学者によって記述されたペンギンたちは、数の多い少ないは別として同じ場所に営巣地を構えています。また、1920年代に捕り尽くされ、絶滅の危機に瀕したアザラシやクジラは、現在ある程度の個体数を回復しつつあります。アシナガウミツバメ、ヒロハシクジラドリ、ナンキョクオオトウゾクカモメなどの鳥類も昔と同じようにこの厳しい環境の中でも繁殖しています。 南極・ロス海クルーズでは、スネアーズ諸島、オークランド諸島、マッコーリー島、キャンベル島など亜南極の島々も訪れる予定です。これらの島々は、人類が依存するダイナミックで驚異的な南極海の生態系を成しています。 今回の旅では、歴史的な探検小屋や賑やかなペンギンの営巣地、氷河の氷舌、神秘的な棚氷、氷山と海氷、多種多様な海鳥、アザラシ、クジラ、壮大な風景、近代的な観測基地などを見学する予定です。 南極・ロス海クルーズは、夢と感動と浪漫に溢れた究極の旅です。探検の歴史に彩られた南極・ロス海1

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