ONE OCEAN社 2020-21年 南極
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2偉大な探検家 サー・アーネスト・シャクルトンSir Ernest Henry Shackleton (1874年2月15日~1922年1月5日)1874年2月15日 アイルランドのキルデア生まれ1904~04年 ロバート・スコット率いるディスカバリー探検 3等航海士として参加1907~09年 ニムロド探検隊で南緯88度まで到達1914~17年 帝国南極横断探検隊 ウェッデル海から南極点を経てロス海に到達する史上初の南極横断を目指し、1914年12月5日、サウスジョージア島を出港したエンデュアランス号は、1915年1月15日、ウェッデル海で流氷に掴まり、閉じ込められ、船が破壊されるという災難に襲われた。隊員は海氷上にキャンプを張り、そして救命ボートでエレファント島へ辿り着いたのですが、隊員たちは、エレファント島のワイルド岬で救命ボートをひっくり返しその下で野営をおこない救援を待つことになったのでした。しかし、そこは絶海の孤島、誰も救援に来るあてはありません。 1916年4月24日シャクルトンと5名の隊員は、嵐のスコシア海を全長約7mの救命ボート「ジェイムズ・ケアード号」で約1,330km離れたサウスジョージア島に救援を求め船出しました。凍てつく嵐のスコシア海を横断、約2週間後、サウスジョージア島のキング・ハーコン湾に無事に到着する事ができました。キング・ハーコン湾に3名の隊員を残し、シャクルトンとワースリー、クリーンの3名は、かつて誰もが行ったことのないサウスジョージア島の険しい山岳地帯を36時間かけて横断し、ストロムネスの捕鯨基地に辿り着いたのです。シャクルトンは、すぐに船を送りキング・ハーコン湾にいる3名を救出。また、エレファント島にいる隊員達の救援隊を組織し、1916年8月30日4回目の救援でエレファント島に4ヶ月半孤立していた22名の隊員全員を救出する事ができました。 一方、オーロラ号が投錨地から風に流され戻ることができなくなったロス海の支援隊、(ベアードモア氷河からロス棚氷までの食糧と燃料を備蓄した補給基地の設置を担当)は、数か月の漂流の後、ニュージーランドに帰還したオーロラ号は、シャクルトンと合流し、ロス海支援隊の救出に向かい救出する事ができました。ロス海の支援隊は数々の困難にもかかわらず任務を完了していたのですが、3人が死亡するという悲劇に見舞われました。 シャクルトンは、ローウェット南極探検隊で1921年9月24日、サウスジョージア島に向けてイギリスを出港、1922年1月4日、サウスジョージア島に無事到着。しかし、翌日、心臓発作に襲われ急死。シャクルトンの遺体は、サウスジョージア島のグリトビケンの墓地に葬られました。それから90年後の2011年11月27日、彼の右腕であったフランク・ワイルドの遺灰は、シャクルトンの墓の右側に埋葬されました。

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