※このページはヘリテージ社(Heritage Expeditions)の資料より日本語に訳して公開しています。

 

ロシア極東の先住民族

INDIGENOUS PEOPLES OF THE RUSSIAN FAR EAST

 

 

チュクチ族 (CHUKCHI/LAURAVETLANS)

●居住地区

チュクチ自治管区と隣接している地域

 

●公用語

チュクチ語

 

●公用語の所属

チュクチカムチャッカ語族

 

●文化の中心地

アナディリ

 

●伝統文化

伝統的な二重文化の交易によるつながり‐遊牧のトナカイ繁殖(70%)と定住性の海生哺乳類の狩猟(30%)。

 

民族地理学

チュクチは、チュクチ自治管区の先住民のユピックエスキモーとともに形成されています。チュクチ族は、ロシアの植民地時代にコリャーク族、ユカギル族とエヴェン族と協力して、ロシアのヤサーク税(yasak)の強制的な支払いを逃れるために戦いをしながらなんとかやってきました。低迷期の後、チュクチの人口はゆるやかに増加しました。チュクチ族は先住民が集まる村に住み、先住民族以外の人たちは、たいてい都市部に住んでいます。

 

生活様式と田舎の人々

チュクチは、セイウチの皮で出来たボートを使って海岸での海生哺乳類の狩猟(30%)と犬ぞりやトナカイのそりを使った遊牧トナカイの放牧(70%)の伝統的な二通りの文化を持っています。特に海生哺乳類とトナカイの製品を交換する交易によってつながっています。

海岸線の村には20のヤランガテント(20家族の宿泊場所)が作られ、トナカイの放牧家のキャンプは、たった2~10のテント(家族)です。

現在、海岸線の村には何百人もの住民が住んでいます。(例えば、ウエレンには1,000人が住んでいます。)

トナカイの放牧家は、経済的に最も重要な職業です。1,000匹を超える動物の群れが夏にはツンドラで放牧され、冬の間は保護された地域に移動します。

ベーリング海峡沿いのチュクチとユピックの人々にとって海生哺乳類の狩猟は伝統的に主要な営みです。クジラやセイウチを銛で狩猟しています。海生哺乳類は食料や油、皮、牙などの製品となります。

漁業は伝統的にサケ漁をアナディリ川やコリマ川、チャウン川(Chaun)の河口で行っていますが、徐々に割り当て量が減っています。狩猟は、野生のトナカイやムース、ヒグマ、オオヤマネコ、マウンテンシープ、ホッキョクギツネ、鳥などがトナカイの放牧家や海生哺乳類の狩人によって行われています。

充分な食べ物と冬の衣類を自分達で確保するにはベリーやハーブ、根茎、きのこの収穫が欠かせません。

毛皮動物の飼育は、地元の経済を拡大し、地元の、特に女性の雇用を作るために導入されましたが、海岸線の村で毛皮製品の消費割合が多かったのですが、食料の供給が不足しているため中止されました。

1970年代から80年代に家畜(牛や家禽)と野菜の栽培が導入されましたが、現在ではほとんど行われていませんが、南チュクチのほんの一部の村で、野菜の栽培が行われます。

 

シベリア・ユピック族(エスキモー) (SIBERIAN YUPIK/ESKIMOS) 

●居住地区

ベーリング海峡のチュクチ沿岸とウランゲリ島。ユピック族は、アラスカの南西やアラスカ沿岸、ベーリング海峡の島々に住んでいます

イヌイット族は、カナダ北極とグリーンランドに住んでいます。

 

●公用語

シベリア・ユピック3つの方言

・北部:ナウカン語(Navukagmit)

・南部:Ungazigmit

・シレニキ:シレニック語(Sirenigmit)

 

●公用語の所属

エスキモー

アリューシャン語族(エスキモーグループ)

 

●文化の中心地

アナディリ

 

●伝統文化

伝統的な定住性の海洋狩猟文化

 

民族地理学

ユピック族は、ベーリング海峡沿岸と西アラスカの先住民です。以前は東チュクチの島にも住んでいました。

約7%のみがロシア連邦に住んでいて、他はアラスカに住んでいます。イヌイットもしくはエスキモーの主要な民族グループに属しています。

イヌイットという名前は、イヌイットの北極圏沿岸会議でエスキモーの人々を包括する名前としてかつて導入されました。

シベリア・ユピック族は、現在ウエレン、ラブレンチヤ、ロリノ、ノボ・チャプリノ、プロヴィデニヤ、シレニキ、ウエリカリなどベーリング海峡の沿岸に沿ったいくつかの村でチュクチ族と一緒に住んでいます。

 

生活様式と田舎の人々

伝統的なシベリア・ユピック族の生活は、チュクチの海岸線と似ていて、海洋狩人が獲物や鳥を狩猟し、採集や漁を副業として営んでいます。

ユピックの村は、伝統的に15~40のヤランガテントがあり、19世紀半ば以降は、土で作った小屋に変わりました。

移動手段は、セイウチの皮で作ったボートや犬ぞり、現代的なボートも利用しています。アザラシやセイウチ、クジラなど海生哺乳類の狩猟は、ベーリング海峡沿岸のユピックとチュクチの人々にとって伝統的で重要な仕事です。彼らは、銛の打ち方など海での狩猟のテクニックは、世界でもハイレベルです。

漁と陸での狩猟(野生のトナカイ、ムース、クズリ、ヒグマ、オオヤマネコ、マウンテンシープ、ホッキョクギツネ、鳥など)自給自足の重要な要素となります。また、ベリーやハーブ、根茎、マッシュルームの採集も重要な仕事です。

 

アレウト族 (アリュート族) (ALEUTS)

●居住地区

ロシア連邦内のコマンドルスキー諸島

 

●公用語

アレウト語

 

●公用語の所属

エスキモー・アレウト語族

 

●文化の中心地

ベーリング島のニコリスコエ(Nikolskoe)

 

●伝統文化

伝統的な定住性海生哺乳類の狩猟と漁労

 

民族地理学

アレウト族は、アリューシャン列島の先住民で、人口は約3,000人で主にアラスカに住んでいます。その約4分の1の人がロシア連邦に住んでいて、その半分がカムチャッカ州のコマンドルスキー諸島に住んでいます。

アレウト族は、1741年以降、ロシアの毛皮商人による残酷な搾取と奴隷化と虐殺によって苦しめられ、人口は約16,000人から2,000人以下まで激変してしまいました。その後、1867年にアメリカがアラスカを購入しました。

コマンドルスキー諸島とアラスカのプリビロフ諸島は19世紀初頭までは無人島でしたが、アリューシャン列島での貿易開発を担当したロシア・アメリカ会社がアレウト族を他の島々から強制的に移住させました。

アラスカとロシア連邦に住んでいるアレウト族の僅か25%がアレウト語を使用しています。

 

 

生活様式と田舎の人々

伝統的なアレウト族の生活は、定住性で様々なアザラシとラッコの海洋哺乳類の狩猟と漁や鳥撃ち、採集などを行っています。アレウト族の捕鯨のテクニックは、ロシア・カムチャッカ半島に移住するイテリメン族のように毒矢や弓を使用していました。ユピックやチュクチの鈷を打ち込む捕鯨とは根本的に異なっています。

伝統的なアレウトの住居は、半分土で作られた2つもしくは4つの家から成り、10~40人の家族が住んでいます。移動手段として大きなアザラシの皮で出来たボートを使用しています。伝統文化が未だ残っていますが、毛皮動物の飼育、牧畜、野菜栽培を行っています。

 

 

コリャーク族 (KORYAKS) 

●居住地区

コリャーク管区と隣接した地域

 

●公用語

コリャーク語。9つの方言、アリュートル語とケレク語の2つは独立した言語とみなされています。

 

●公用語の所属

チュクチ=カムチャッカ語族(パレオアジア諸語)

 

●文化の中心地

パラナ

 

●伝統文化

伝統的な遊牧トナカイの牧畜や狩猟、海生哺乳類の狩猟、沿岸、陸上での遊牧文化

 

民族地理学

コリャーク族は、カムチャッカ半島の北から中央部にあるカムチャッカ州の行政上関連するコリャーク管区の先住民です。山の多い土地で、ほとんどがツンドラに覆われています。州の南半分は火山活動中の地域です。コリャーク族の居住地は北部と南部がエヴェン族、北部がチュクチ族とチュバン族(Chuvans)、南部がイテリメン族とカムチャダール族と重なっています。人口は前世期から少しずつ増加しています。

 

遊牧トナカイ牧畜

遊牧民であるコリャーク族は、早い時期からロシアに服従し、ロシアに併合されました。エヴェン族とユカギル族は、18世紀のチュクチ族同様に沿岸部のコリャーク族を攻撃しました。この争いと1769年~1770年の天然痘の流行により、先住民の人口が1700年の約1万人から1800年の約4,800人と大幅に激減しました。

コリャークの2つのサブグループは、それぞれの異なる言語のためにソビエト時代以前には、他の民族グループとみなされていました。1つ目のグループは、アリュートル族でカムチャッカの地峡とペンジナ湾(Penzhinskaya Guba)の東に住んでいて、小規模なトナカイの繁殖と海洋生物の狩猟や漁労をしています。

2つ目のグループは、ケレック族(Kerek)で、チュクチ半島のナバリン岬にとても小さなグループがいます。

 

生活様式と田舎の人々

コリャークは、チュクチのように伝統的にアザラシの毛皮で出来たボート、犬ぞり、トナカイを使い、定住性の海岸や海生哺乳類の狩猟や漁労をする社会です。

伝統的なキャンプや海岸の村は、現在でも毛皮で覆われたフレームの建物であるヤランガテントを使用しています。コリャークのヤランガは大きく、19世紀後半から20世紀前半まで25人もの家族を収容する事ができました。

トナカイの牧畜やサーモン漁業はコリャークの基本的な仕事です。コリャークのトナカイの群れは、大きいことで知られ、何千頭ものトナカイを飼っています。現在、トナカイの放牧家は、半分遊牧民のような暮らしをしています。

海岸のコリャークは、伝統的な1年のサイクルを持っています。春は、海の哺乳類の狩猟と海岸での漁労、夏(7月)は、サーモン漁、秋(9月~10月)は、海生哺乳類の狩猟と海岸のカニなどの漁労、冬(11月~3・4月)は毛皮動物の狩猟を行って暮らしています。川や河口でのサーモン漁は、コリャークにとって経済的に最も重要な仕事になっています。

 

 

イテリメン族とカムチャダール族 (ITELMENS AND KAMCHADALS)

●別名

ヴォグル

 

●居住地区

・イテリメン族  :中央カムチャツカの西海岸

・カムチャダール族:カムチャツカ渓谷の上の方やペトロパブロフスク地区や西海岸

 

●公用語

イテリメン語、2つの方言(無文字言語)

 

●公用語の所属

チュクチカムチャツカ語族

 

●文化の中心地

・イテリメン族  :コヴラン(Kovran)

・カムチャダール族:ミリコフスキー

 

●伝統文化

伝統的な定住性の漁労や狩猟文化。

 

民族地理学

言語は、無文字言語社会で口頭伝承です。ロシア人が到着した時、カムチャツカには約3万人のイテリメン族が住んでいましたが、人口の減少は戦いと伝染病によるものでした。

植民地になる前までは、イテリメン族は、南カムチャツカに広く住んでいました。現在、彼らはカムチャツカ半島の南西海岸のコヴラン中央の村付近に住んでいるのみです。

スターリンの時代から生き延びた村々(ユクトロホク、モロシュフノエやSopochnoye)は、閉鎖され、そこに住んでいた人々は1960年代にコヴランに移住しました。イテリメン族の人口の約半分は、生まれ育った故郷に住んでいます。公用語の言語は、無文字言語社会で口頭伝承です。

その後、イテリメン人の多くがコリャーク人やロシア人、他の移民と結婚しました。彼らの子孫はロシア語を話し、独特の地方文化を発達させました。

これらの人々は、先住民の立場や自分達のことをイテリメンと呼ぶ権利を1927年に失いましたが、2000年にその権利を取り戻しました。

自身をカムチャダールと呼びますが、正式な植民地名は、イテリメンとの混血の人々のために使われています。

 

生活様式と田舎の人々

主に川でサーモンを獲る漁労がイテリメン族とカムチャダール族の伝統的に主要な仕事です。カムチャツカの田舎に残っている人々の多くにとって、漁は主な経済活動です。

沖合のトロール網での漁業は、皮にやってくるサーモンの移動を脅かしていますが、多くのイテリメン族は、伝統的なトロール網での漁業を続けています。

1980年代には、商業的な海洋漁業を保護するために、固有のサケ漁業が禁止されました。今日、先住民は、個別の漁獲枠を持っていますが、彼らのニーズには十分ではありません。

牧場は現在の仕事で、18世紀にはじめて導入されました。18世紀から1930年代のソビエト連邦による集団農場化で馬の牧畜が重要でしたが、現在ではほとんどなされていません。

カムチャダールは、牧畜業や野菜栽培などに着手し、漁も重要な仕事です。毛皮動物の狩猟や罠での捕獲は、植民地時代のヤサーク税の導入(yasak)前までは、イテリメン族の重要な経済でした。

毛皮動物は、クロテンとキツネで、陸や海の乳類の狩猟は、主にマウンテンシープ、トナカイ、ヒグマ、アザラシ、クジラで、伝統的な重要性を持っていました。

これらの職業は、動物の減少や狩猟の規制のため現在は、ほとんど行われていません。特にソビエト時代にベリーやハーブ、シダーナッツなどの採集は、重要な補助的な食料源でしたが、現在、樹木が少なくなったため手に入れるのが難しくなってきています。

 

 

エヴェン族 (EVENS)

●居住地区

北ハバロフスク地方、マガダン州、カムチャツカ、コリャクスキー、西チュコフスキー、北と東ヤクーチアなど幅広く住んでいます。

 

●公用語

エヴェン語:西、中央、東の方言グループ

・文字:オルスク(Olsk)方言に基づいています。

・ヤクートでも広く話されています。

 

●公用語の所属

アルタイ諸語族、ツングース系‐満州人語グループ

 

●伝統文化

伝統的に半ば遊牧をし、主にトナカイの狩猟と小規模なトナカイの放牧をしています。コリャーク族と混血の小さなグループが海生哺乳類の狩猟をしています。今日では定住或いは、遊牧をしています。

 

民族地理学

エヴェン族は、北ロシアで2番目に大きなツングース語を話す人々の集まりです。ヤクート、チュクチ、コリャーク、ユカギルなど他の先住民と混ざり、居住地が広がっており、国の州を作る際に障害になりました。

広く民族的に混在した定住地域では、それぞれの先住民の言語は、殆ど残っていません。

エヴェン族の人口の約半分は、北東ヤクーチアに少数民族として住んでいます。残りのエヴェン族は、西チュコフスキーやコリャクスキー、マガダン州、ハバロフスク地方の北部に住んでいます。中央カムチャツカに小さな植民地があります。

 

生活様式と田舎の人々

エヴェン族の文化は、伝統的にトナカイの放牧と小動物の牧畜、狩猟文化です。

小規模なトナカイの放牧は、内陸部や北シベリアのエヴェン族の基本的な営みです。毛皮動物の狩猟や夏に川へ漁に出かける長い旅行の間、トナカイは移動手段として使われ、遊牧生活はエヴェン族の文化にとって重要です。

1930年代に始まったソビエトの集団農場化以来、遊牧民は定住を強制され、社会の様式や文化のアイデンティティが崩壊しました。

遊牧民を復活させるための現代的な傾向と、それに関連した生活パターンと社会構造が追及されています。狩猟は重要な営みです。狩猟の対象動物は主にトナカイ、マウンテンシープ、毛皮動物は特にリスです。猟犬の質が高いことで知られています。

川の漁は、伝統的に重要で、価値のある魚は、ホワイトサーモン、チョウザメ、オムリ、ムクスン、シベリアン・コクチマスです。南部では牛の畜産と農業が導入されていますが、オホーツク海のエヴェン族の間では、河口でのカラフトマス(Humpback Salmon)やサケ(Dog Salmo)、アザラシ漁が一般的です。