ホープ湾(Hope Bay)
南緯63°23′ 西経57°00′

南極半島の北端と沖に浮かぶドービー、ジョンビル、ダンディー等の島々との間の海峡はアンタークティック・サウンド(南極海峡)と呼ばれ、ウェッデル海の棚氷から欠け落ちたばかりの大きな卓状氷山が沿岸海流に乗って西にゆっくり流れる様が見られるので、別名氷山銀座と呼ばれています。

卓状氷山

半島側のホープ湾はスウェーデンのノルデンショルド隊(1901-1903年)の3隊員が先の予想が付かないまま越冬せざるを得なかった際に付けられた名前です。

湾の奥に流れ込む大きな氷河沿いに、強烈なカタバ風(斜面滑降風)が吹き降ろす事が多いため、上陸できない事も多々あります。ノルデンショルド隊の3人が越冬した石小屋の跡が一部修復されており、後ろにそびえるフローラ山(ジュラ紀のシダ植物の化石が多く発見された)と共に同隊の足跡をうかがう事ができます。

石小屋からみえる丘の上にはまず1944年にイギリス気象観測所が開設し、南極条約(1961年)発効以前の南極領有権紛争の中、1952年にはアルゼンチンがすぐ隣に大規模な現在の「エスペランサ(希望)基地」を建設し、イギリス基地の目前で行った射撃練習が原因で一触即発の危機的時期もありました。

その後、イギリス基地は1999年にウルグアイが引き継ぎました。エスペランサ基地の規模は夏80名、冬40名程度ですが、領有主張の一端として数家族を含む「村づくり」が進んでいます。教会、ラジオ局、学校などがあり、家族越冬も行われ南極最初の子供も1978年に誕生しています。ラジオ局はロス海側のアメリカによる南極放送と並ぶ短波ラジオ局です。基地の裏側からフローラ山への地域は800年以上前からと見られるアデリーペンギンの大営巣地が広がっており、2003年の調査で22万つがいといわれています。

アデリーペンギンの群れ

基地内の見学は20人毎のグループ行動となります。基地食堂にある売店ではお土産類購入、記念スタンプや郵便も利用できます。

 

◆ホープ湾で見られる動物達◆

 

©Rlindblad20191127