ルメール海峡(Lemaire Channel)
南緯65°04’西経63°57′

南極半島で最も雄大だといわれるルメール海峡ですが、ルメール海峡を有名にしているのはそれだけではありません。地質学的にも重要な地域なのです。

上ジュラ紀(約1.5億年前頃)にこの地域はゴンドワナ超大陸の分離に伴う活発な火山活動があったところです。安山岩や凝灰岩(シマ模様)の層がその歴史を物語っています。しかもこれらの火山性岩石層にも、元の火山から遠く離れたところで大きくしゅう曲、そして押しつぶされるといった大規模な地球造山活動の様子が見られます。

これらの造山活動は南極大陸が南アメリカから離れた頃の地殻活動とほぼ同時代(3千万年位前)に始まり、地質学的にはごく最近と言える1千万年前頃に最高潮に達しました。そして大規模な隆起が地軸と並行する形で南極半島に起こりました。その際、大きな活断層による深い海溝がノイマイヤー海峡、ルメール海峡さらに南西方向のペノーラ海峡まで伸びたのです。

ルメール海峡

西側の陸地はブース島(Booth)でダルマン探検隊(ドイツ1873-74年)により発見、命名された島ですが、ジャン・シャルコー隊(フランス)が最初の越冬(1903-05年)をしたのもこの島の西側でした。海峡自体は長さ11.2km、幅は最低450m、平均水深400mで、ゲーラーシェ隊(1897-99年)によりベルギー人のコンゴ探検家シャルル・ルメールにちなんで命名されたものです。

ルメール海峡の北の入り口近く、半島側に高く(約300m)そびえる二つ並んだ岩山は長い間、海図上のレナード岬としてよりも「ユナの乳房」として知られていました。1940年代の英南極観測隊の隊員達が当時のフォークランド属領測量局秘書をしていた体格の良い女性、ユナ・セジウィック(Una Sedgwick)にちなんで呼び始めたものですが、当時の英南極観測隊員は独身者に限りしかも任期が一期2年半でしたので想像力も豊かになったのかもしれません。

ユナはその後、隊員の一人と結婚して、2011年現在81歳でオーストラリアに在住です。2008年になって英南極地理地名委員会により正式に「ユナ峰(Una Peaks)」と変えられ、レナード岬は半島とつなぐ氷河が消滅したため「レナード島」となりました。

ユナ峰

ルメール海峡の南端にプレノー島とホフガード島がありますが、このあたりは浅瀬になっていてウェッデル海の棚氷や近辺の氷河から流れ出た多くの氷山が座礁していて、あたかも氷山彫刻ギャラリーの様です。

彫刻の様な氷山

その間をカニクイアザラシの群れが泳ぎそれを狙っているヒョウアザラシ、そしてミンククジラなども良く見られます。 

 

◆ルメール海峡で見られる動物達◆

 

ⒸRlindblad180731