ピーターマン島(Petermann Island)
南緯65°10′ 西経64°07′

ルメール海峡を南に抜け、ホフガード島の次に右手に見えるのがピーターマン島です。ドイツダルマン探検隊(1873~74年)が当時のドイツ地理学者の名をつけたものです。ここは最近までゼンツーペンギンの南限営巣地と言われていましたが、温暖化の影響で数年前からさらに南の島でも営巣が見られる様になり、ナンキョクオキアミを中心に捕食するアデリーペンギンの数が激減しています。

ゼンツーペンギンの群れ

ルメール海峡のブース島からピーターマン島を含め、さらに南のマルガリータ湾にかけての海域はフランス探検家ジャン・B・シャルコーが重点的に調査測量した所で、第2次探検の際(1909年)にはピーターマン島で越冬しました。今でも上陸地点すぐ横に船(ポルケ・パ号)を舫った際の鉄製フックと水位線近くの岩に彫りこまれた「P・P」の文字が見えま

石に彫り込まれたP・Pの文字

シャルコーの越冬隊は隊員の生活環境を重要視した点で当時としては画期的といえるものでした。例えば;

1)押し寄せる流氷から船を守るために、3重の鎖を入り江の入り口にめぐらした。(鎖の杭は今でも見える。)

2)初めての黄色のサングラスを使用(従来は煤ガラス使用)。

3)甲板をキャンバス地で囲ってラウンジを拡張した。

4)仮装パーティーなどの娯楽や余興を演出。

5)下級水夫を含め全員に食事の選択と様々なレクチャーを提供。

6)南極スポーツクラブの結成。

などイギリス探検家スコットをして「シャルコーは南極の紳士である」と言わしめたほどです。

ピーターマン島

島の中央部、丘の上にある銘板はシャルコー隊の残した物の複製(実物はフランスに保管)です。避難小屋近くの岩の上に立つ白い十字架は、1982年8月イギリスファラデー基地(現ヴェルナドスキー基地)の隊員3名が半島側で登山を楽しんだ後、海氷上を歩いて基地に戻る途中遭難してしまいましたが、その慰霊のために建てられたものです。

 

◆ピーターマン島で見られる動物達◆

 

ⒸRlindblad150808