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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

ホッキョクグマ/クマ科クマ属

ホッキョクグマ (Polar Bear) クマ科クマ属
進化の時間から見ればホッキョクグマはごく最近北極海に住むようになったわけですが、水と氷の環境に見事に適応しました。
ふさふさとした白い毛と皮下脂肪層が備わるように進化して保温と保護色の効果が付きました。
しかし、真っ白に見えるホッキョクグマはほとんどいません。海に入り近くの陸や氷板から160㌔かそれ以上も泳ぐことができるので、毛は黄色っぽく見えます。
これは顕微鏡サイズの海藻である珪藻(けいそう)類 が毛の中空部に絡まるためです。陸上で長い時間を過ごすクマは茶色っぽい白い色の毛をしていますし、仕留めたアザラシの脂肪が染みついたのもあります。普通唯一の黒っぽい色の場所は大きな鼻ずらと小さな眼です。

他のクマと異なり、ホッキョクグマは長い首と体長に比べて小さな頭そして小さな耳が特徴です。
ゆったりと大股で走る時には首を蛇のように左右に揺らせます。
脚先は大きく、先端まで毛に覆われていますが、足裏はむき出しで速く移動するときや氷の上でも滑らずに面をしっかりととらえる事が出来ます。
雪上の足跡を見ると、大きくて強い爪がある事が分かります。
非常に大きな足は泳ぐときのオールの役目をします。また大きな足裏は、人間の体重も支えきれないほどの薄い氷の上を移動するときでも体重を分散させてくれます。

氷河期にアザラシが冷たい北の海に適応しなければならなかった時にも依然として、水面上(又は氷面上)で呼吸をし、お産をしなければなりませんでした。
この事は豊富な食糧源がヒグマの手の届く範囲にあるという事で、クマはますます氷上で過ごすようになりました。
アザラシをうまくとる事が出来る種類のクマが自然淘汰で他のクマよりも肉食性が進みました。10万年位前までに今日のホッキョクグマに進化したと考えられます。
ホッキョクグマとヒグマは外見も行動も違っていますが、動物園での交配で健全な子供を主産した例に見られるように、遺伝子的に近い間柄のようです。
自然環境でも混血は起こっているでしょう。

ホッキョクグマの分布は北極周辺全域です。極周辺地域では5つかそれ以上のホッキョクグマの群れが確認されています。
スピッツベルゲン、フランツヨーゼフ・ランド、西グリーンランド、ハドソン湾、高緯度カナダ北極/アラスカ東部北極そして西アラスカ/東部ロシアの各群れ間の混合も起きています。
西アラスカ/東ロシア群が最も大きく、雄は680㌔にも達する事があります。
北極点付近でも見られる事があり、砕氷船の極点バーベキューが進行中に一頭が発見されたこともあります。(もちろん急いで船に戻りましたが)。
ホッキョクグマは海洋生物が乏しい北極海盆の中央部よりは流氷群の上又はその近辺に多く見られ、流氷群の南端部に行くほど数が増します。
ホッキョクグマは後退する流氷群と共に移動し、アザラシや狩りに丁度良い氷の状態の場所に多く見られます。
主な獲物は北極アザラシの中で最も多いワモンアザラシですが、西北極海域ではアゴヒゲアザラシの方を多く獲るかもしれません。
さらに、セイウチ、座礁したクジラ、鳥、魚、そして夏の陸上では植物なども食べますし、共食いも稀ではありません。通常単独で狩りをしながら非常に広い範囲を移動し、学習が早く力、スピードそしてとてつもない忍耐力を兼ね備えています。
ある試算によれば、ホッキョクグマは6日半毎にワモンアザラシ一頭ほどのカロリーを必要としているとの事です。

冬にはアザラシを氷の中の呼吸孔で捕まえます。呼吸孔はアザラシが爪を使って下から開けておくものです。
ホッキョクグマはわずかな臭いを嗅ぎ分けて近づき、穴の周りの雪を静かに払いのけてすぐそばにうずくまって、アザラシが頭を出すのを待ちます。
アザラシが水面に上がって来るなり大きな前足の一撃で氷を割ってアザラシを殺して氷上に引き上げます。
春には氷上で休むアザラシにそっと忍び寄ります。アザラシが眠ったり起きたりする周期的な動きに合わせて近づき、獲物が氷穴から海に逃げ込む前に襲い掛かります。

夏になって海氷が割れるとハドソン湾の氷クマ(Ice bears)は陸グマ(Shore bears)になります。
雌は森林境界線沿いの荒野に退いて湖近くのピートの土手に巣穴を掘ります。
ハドソン湾近辺のクマの巣穴地域は南のジェームス湾から北はチャーチルの南50㌔ほどの所まで及びます。
雄は餌を求めてさまよい歩きごみ置き場まで来るので迷惑であると共に観光客用の呼び物となっています。

獲物が一年中あるので、ホッキョクグマはヒグマのような冬眠はしません。
例外は妊娠中の雌で、約5ヶ月巣穴で過ごす間に子を産みます。
雌は首尾よい妊娠期間と出産に先だって大きく体重(特に脂肪)を増やさなければなりません。
12月か1月に各500㌘程度の小熊2頭を産みます。3~4月頃巣穴から出てきたときには小グマの体重は10㌔程度もあります。
小グマは普通2年半位の間、母グマと共に過ごすので、雌は3年に一度の出産となります。この繁殖率の低さは長い寿命と自然死亡率の低さで均衡が取れています。
今から4,000年ほど前に今日のイヌイットの祖先たちは北極海の海生哺乳類の狩猟という新しい生活様式に移行しました。
この技術を習得した後次第に北極海沿岸地帯に住むようになりました。
これはホッキョクグマが北極海に活路を見つけたのと同じでイヌイットはホッキョクグマの狩りの手法をまねたとさえ考えられます。ですから、イヌイット文化とその精神生活上ホッキョクグマは重要な位置を占めています。シャーマン(呪術師)の守護者は通常ホッキョクグマで、人間とクマの魂はしばしば入れ替わる物だと信じられていました。
クマを殺すことは重大事であり、儀式を行ってその魂をなだめる必要がありました。捕食者と獲物の関係は相互関係で、時にはクマが人を殺すこともありました。

ホッキョクグマはおそらく大型肉食動物の中で最も危険な動物です。めったに人と接触しないため、人間を恐れません。ホッキョクグマにとって動く動物は食べ物です。ウォーリー・ハーバートは彼の著書「Across the Top of the World」の中で、4名による北極横断ソリ探検隊の16ヶ月の間、氷が割れる事よりもホッキョクグマの方が問題だったと書いています。
「ホッキョクグマは深刻な問題になりつつあった。クマを驚かせて追い払う事は困難だったし、クマの頭上に威嚇射撃をする余裕はなかった。クマ一頭につき3発も撃てば我々の弾丸はあと5日しかもたないし、武器が無ければこの地域をそり旅行する危険は大いに増す。
氷の斧をクマに向かって投げつける。向かってくるクマにシャベルをガシャガシャ鳴らしながら近づくなど、クマを脅かして追い払うために思いつくことは全てやってみた。だが、どれも1回やっただけで思い知った。クマに立ち向かうという事はクマとの距離を早く縮めるだけだ、という事を。」

スピッツベルゲン諸島のホッキョクグマが保護されている間の1962年に、キングカールス・ランドで野外調査をしていた科学者達が大慌てのSOSメッセージを発信しました。「直ちに救出請う。腹ペコのクマに囲まれて出るに出られず。」

ホッキョクグマは第二次世界大戦中のカナダ北極にある人里離れた測候所でも危険な存在でした。今日でもなお、沖合の石油採掘現場や地質学調査団のキャンプで脅威となっています。最善の防衛策は、特に暗い冬の間、グリーンランド人が特別に調教した犬の存在です。この犬はクマに吠えかかって警告を発すると共に、適切な処置が講じられるまでクマをひるませます。
1982年にはビュルネイ島(ベア島) にあるベルギー観測基地に20頭ほどのホッキョクグマが現れました。数頭を撃ってからやっと観測器具の点検をするために外に出る事が出来たのでした。
かつて、ロシアの全北極基地には早期警告システムの犬たちを収容する犬小屋が見られ、今日まだ活動中の基地を訪れる人はこの犬たちにとって歓迎されざる訪問者なのです。

ホッキョクグマが北極地方の狩猟や開発の影響を受けやすい事についての懸念が大きくなった事や、信頼できる個体数調査が無かったこともあり、1968年に会議が招集され、ソ連、カナダ、米国、デンマーク(グリーンランド代表)、ノルウェーの北極関係5ヶ国のホッキョクグマ専門家達が出席しました。
その後1976年には「ホッキョクグマの保護に関する国際協定」がこれら各国で批准されました。
この協定では生息環境の保護が必要とされましたが、クマが移動性であり生息地が主として海氷上であるために難しい問題を抱えていました。
科学者達の最大関心事は「豊かなポリニヤ が資源開発の過程で人間用に益々利用されるようになり、クマの生息する場所がいっそう少なくなるのではないか」という事で、営巣地域を保護する事も同じくきわめて重要なのです。
人間の営みによってホッキョクグマがその巣を放棄し、その結果妊娠できなくなったり、子グマが死んだりする事もあり得るのです。
しかし、ホッキョクグマが直面している火急の問題は気候変化です。
北極の海氷が融けてアザラシ猟のための足場がなくなってしまう事で、海氷は彼らの生存にとって不可欠なのです。

(北極旅行&北極クルーズ6-29)