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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

歴史

歴史(HISTORY)

 

アンティポデス諸島は1800年にイギリス海軍HMSリライアンス号のヘンリー・ウォーターハウス船長によって海図が作成されました。1803年ウォーターハウスの義理の兄弟であるジョージ・バスは、ニュージーランド南島の西側ダスキー・サウンドから東側のオタゴ港以南の全海域で独占して漁業ができるようにニューサウスウェールズ州知事に申請し、アンティポデス諸島を含む南部の全土地と海域の独占権を得ました。おそらく、彼はここにオットセイの大規模営巣地があることを知っていたのです。

 

バスはその年、シドニーから南へ出航しましたが消息不明となりました。彼の情報は1805年から1807年にかけてオットセイ猟ブームにつながり、一時は80人の男性が猟を行っていました。80,000枚以上のオットセイの毛皮を積んだ貨物を巡りアメリカとイギリスのギャング間で激しい争いも起こりました。これはオーストラレーシアから出荷された史上最大の貨物量の一つでした。中国の広州でオットセイの毛皮1枚を1ポンドで売却し、現在の価値に換算すると数百万ドルの利益となりました。

 

シミオン・ロード、ヘンリー・ケーブル、ジェームズ・アンダーウッドなどシドニーの著名な商人や、アメリカ人のダニエル・ホイットニー、オーウェン・フォーガー・スミスも貿易に従事していました。スチュワート島の海図を作成したと主張したウィリアム・スチュワートやマオリ族の頭で小売業を始めたウィリアム・タッカーも同様に、ブームの時期に存在していました。1807年以降、猟が少なくなり貨物も減少していたことから、オットセイが絶滅したものと思わざる得ませんでした。

 

(南極旅行/ロス海・亜南極3-2)