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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

ストロムネス湾

ストロムネス湾(STROMNESS BAY)

 

サウスジョージア島の北海岸にあるストロムネス湾の幅は4.8kmです。アーネスト・シャクルトンの船エンデュアランス号がウェッデル海で沈没した後、1916年に、エレファント島から救助を求めて嵐の海を横断しサウスジョージア島に到達し、険しい山岳地帯横断して辿り着いた場所でした。ノルウェーの捕鯨基地管理者によって助けを得ました。

 

ストロムネスでの捕鯨活動は、1907年に湾を水上工場の船の停泊場所として最初に使用したことから始まりました。海岸の基地は1912年に建設され、1931年まで捕鯨基地として運営されていました。その後1961年に廃墟となるまで船舶修理場として使用されました。今日、捕鯨工場の建物、機械、その他の道具や造船所は、廃墟となっています。

 

耐氷船シー・スピリット(サウスジョージア島)

 

“現在、サウスジョージア島には約3,000万羽の鳥が巣を作りヒナを育てています。それはまさに、頻繁に荒れる猛烈な南極海にある自然の楽園です。

 

アザラシ猟。キャプテン・クックは1775年にサウスジョージア島を訪れた際、島には、膨大な数のアザラシがいることに言及しました。イギリスのアザラシ猟師は1788年に南米から到着。その後1791年には、アメリカから他のアザラシ猟師が到着しました。このようにして、サウスジョージア島の歴史の中で残忍な時代が始まり、ナンキョクオットセイとミナミゾウアザラシの2種の海洋哺乳類が人間によってとりつくされました。アザラシ猟師間の競争は激しく、初期のアザラシ猟は、秘密裏に行われため、当時のアザラシ猟が行われた範囲を完全に知られることがほとんどありませんでした。

 

捕鯨。1904年11月16日、北極海で捕鯨を経験したノルウェー人のカール・アントン・ラーセンがサウスジョージア島のグリトビケンに初めて捕鯨会社を設立しました。ラーセンの事業は商業的に非常に成功しました。当時、1頭のクジラから取れる油と副産物で2,500ポンドを獲得でき、彼の会社は操業の初期に比較的高い配当金がありました。捕鯨免許取得に大きな関心が続きました。当初は脂肪のみを取り出し死骸を廃棄していたため、海岸に骨が散らばり、腐敗した肉の悪臭が発生しました。政府は産業を維持するため、脂肪だけではなくクジラ全体を確実に処理されていることを確認する条件を課し免許に制限をしました。 1912年までに7つの捕鯨基地が設立され、サウスジョージア島は、捕鯨の南部の首都として知られるようになりました。

 

・南極海で捕鯨を可能にしたのはエクスプロ―シブ・ハープーンと呼ばれる、爆発性の銛の発明(火薬により銛を射出する道具、即ち捕鯨砲の発明)でした。

 

“ソールズベリー平原は最も印象的で本格的な自然が広がっています。グレース氷河の後退によって形成された盆地は、美しい景観をなし、手付かずの自然の強さと美しさを際立たせる高い山々に囲まれています。この平和で天国ような中心地である湾の海岸には25万羽ものキングペンギンの営巣地があります。”

 

(南極旅行/ポセイドン南極読本4-7)