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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

植民地の失敗

植民地の失敗(Failure of the Colony)

 

会社の取締役たちは植民地に関する内容の報告に不満を持っていたため、取締役のジョージ・ダンダス氏とT・R・プレストン事務局長をオークランド諸島へ派遣し調査することにしました。1851年12月、ダンダスとプレストンは特別委員としての職務を全うすべくポートロスに到着しました。調査の結果、エンダービーは会社の最高委員長を辞任しましたが、副知事の立場としての住居であるとの理由から家を離れることを拒否しました。しかし、この家は会社の所有物のため、委員会は家具の一部を取り除くように命じ、その後、彼らがブラックドッグ号で島を離れる際、エンダービーを強制的に同行させました。エンダービーによると同行を拒否した場合、拘束すると脅されたようです。

 

ブラックドッグ号がウェリントンに到着すると、エンダービーはメッサー、ダンダス、プレストンに対して不法侵入の訴訟を起こしました。3日間を要したこの訴訟はスティーブン判事の前で審理されました。ウェリントン・インディペンデント紙は、事件の概要を報告した後、「裁判官は、お互いに各当事者が自分の費用を支払うように命じた」と結論付けました。

 

エンダービーはジョージ・グレイ卿に懇願しました。ジョージ卿はエンダービーを哀れみ親切に対応しましたが、彼はエンダービーと委員会との争いに対する権限を持っていないと感じました。その後、エンダービーは植民地担当の国務長官に手紙を書き救済を求めましたが、トラブルは彼と会社の間にあったため、満足のいく結果は得られませんでした。同社はエンダービーの不始末を非難する一方でエンダービーは同社の業務管理と漁業を行う方法が事前に提出した計画に従って行われていなかったと非難しました。

 

オークランド島への捕鯨入植は完全な失敗でした。この失敗はイギリス本土と植民地の両方で大きな失望を引き起こしました。南洋での捕鯨は国家的に重要な貿易とみなされていたからです。1852年8月の終わりに向けてハードウィック伯爵はオタゴ地方に到着し、南洋捕鯨会社のスタッフ、乗組員、および知事の家を含む財産の残りを売りに出しました。オタゴ地方の目撃者たちは植民地の放棄に遺憾の意を表明する記事を書きましたが、それは驚くことではありませんでした。エンダービー氏の計画の一部は採用する価値があると考えられていましたが、乗組員の任務放棄を防ぐためにオークランド諸島を選んだことが間違いでした。その結果、彼らは島を刑務所として見なしていました。クジラは非常に豊富でしたが、荒天の影響で捕鯨に行くことが非常に難しく、鯨油を取ることがほとんどできませんでした。

 

シドニーの多くの人々は計画の失敗に驚きはせず、場所の選択が悪く植民地化の挑戦は愚かだと思っていました。ポートロスの建物と改良に30,000ポンドが費やされたと言われています。一方、ポートジャクソンやニューカッスル、ポートスティーブンスは店舗や労働者の住居の建設に2,000ポンド以下しか必要としませんでした。雇われていた7~8隻の船とスタッフは副知事の権限を持つ委員長に代わってシドニーの商人が他の店員の助けを借りて管理することができました。南洋捕鯨の基地をオタゴ地方よりも南に作ることは二度とありませんでした。

 

(南極旅行/ロス海・亜南極4-2-3)