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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

アザラシ猟と捕鯨時代

アザラシ猟と捕鯨時代(THE AGE OF SEALERS AND WHALERS)

 

1784~1822年の間、サウスジョージア島、フォークランド諸島、ホーン岬地域、サウスサンドウィッチ諸島及びチリ沿岸で数百万頭のアザラシの皮が採取されました。ファン・フェルナンデス諸島だけでも300万頭ものアザラシ皮が採取され、アザラシの個体数は絶滅まで追い込まれました。同様にケルゲレン諸島、クローゼー諸島、マリオン島、プリンス・エドワード島、マッコーリー島などの亜南極諸島の島々でもアザラシ猟が行われ、アザラシ猟師は、新しい狩猟場を見つけることに熱心になりました。

 

捕鯨船も南へ来て、ミナミセミクジラの捕獲や豊富なアザラシを利用し高利益なアザラシ猟を行っていました。多くの捕鯨者はオットセイ虐殺に参加していましたが、他の捕鯨者は、ミナミゾウアザラシも狩猟していました。何百万頭ものゾウアザラシが屠殺され、鯨油の代替品として油にされました。

 

南極の探査と開発の新しい段階は1819年に始まりました。ウィリアム・スミスという商人の船長は、チリのバルパライソへ向かう途中、不都合な風を避けるためにホーン岬を航行していました。2月19日、彼はこれまで知られていなかった土地を発見しました。天候が少し晴れた後の日、彼は位置を南緯62度17分、西経60度12分と確認しました。クックのサウスサンドイッチ諸島よりもさらに南に位置していました。スミスはサウスシェトランド諸島のリビングストン島を発見したのです。さらに重要なことに、彼はより多くのアザラシを発見しました。スミスは同じ年の10月に探査と調査の為に島に戻りました。10月16日、彼は荒涼とした島に上陸し、国旗を掲げイギリスの領有を主張しました。

 

アザラシ猟師たちは時間を無駄にしませんでした。すぐにスミスの発見の噂はアルゼンチンやチリの港に広がり、商人たちは新しい狩猟場を求めて急ぎました。サウスシェトランド諸島に最初に到着した船は、アルゼンチンのチャーター船でした。その乗組員は5週間で14,000の毛皮を取りました。1819年12月25日、イギリスのアザラシ猟師たちがラギッド島へ上陸、その島をイギリスの領有と主張し、商売に着手しました。1820年1月18日、アメリカのアザラシ猟船ヘルシリア号/Hersilia(二等航海士としてのナサニエル・パーマー)がスミス島を目撃、数日後イギリスに加わるためにラギッド島へ到着しました。とそしてサウスシェトランド諸島のアザラシ猟が始まりました。

 

(南極旅行/ポセイドン南極読本6-2)