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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

事実と数字

事実と数字(FACTS AND NUMBERS)

 

・北極点の氷の厚さは、2~3mです。

・北極点での平均気温は、冬は、-31℃、夏は約0℃です。記録された最高気温は、+13℃です。

・北極点の水深は、4,261mです。

 

2013年7月、ポセイドン・エクスペディションズ社が運航する砕氷船「50イヤーズ・オブ・ヴィクトリー」の乗船客は、砕氷船の航海史上100回目の北極点到達を達成しました。

 

・北極点には、生命が住んでいない場所だと常に信じられていました。しかし、北極の動物群の典型的な代表であるホッキョクキツネとホッキョクグマは、北極点の近くで観察されていました。

 

・結局、ピアリーもクックも北極点に到達しなかった可能性があります。

 

・それはソビエト人が最初に北緯90度(北極点)到着したことを意味します。

 

・1948年4月23日、シークレット・サーバー2探検中に3機のリスノフ Li-2 航空機が北極点に着陸しました。アレクサンドル・クズネツォフは、その探検のリーダーでした。しかし、探検隊のメンバー以外は誰もこの功績を知りませんでした

 

・1909年の極地の旅の間、ロバート・ピアリーは大規模な後方支援を受けました。先導チームが先導し、ピアリーの道を切り開き、彼らが進むにつれ、ピアリーが先駆者であるという栄光を享受できるように、セカンダリー・チームは、残されました。ピアリーは、アフリカ系アメリカ人のマシュー・ヘンソンだけを伴っていました。ピアリーの選択には、確かな理由がありました。20世紀初頭のアメリカ社会は、ヘンソンは白人と平等とは、考えられていませんでした。だからヘンソンは、正当な極地の先駆者とは考えられなかったのです。

 

・1958年にアメリカのスケート級原子力潜水艦が北極点の氷を破壊して浮上した後、探検家として有名なヒューバート・ウィルキンス卿の遺灰を散布しました。ヒューバート・ウィルキンスは、1931年に退役した潜水艦を利用して北極点に到達しようと試みました。

 

・北極点に到達した最も珍しい方法の1つは、2009年のワシーリー・エラギンが率いた自動車探検隊でした。探検家たちは、特注の2台のYemelya水陸両用車を使用して目的地に到達しました。車両には、トヨタのストックカーのエンジンが搭載されていました。低圧タイヤを備えた大きなホイールにより、氷丘氷や薄い氷の上を走ることが可能になり、彼らが水に入った場合、車両が浮くようになっていました。

 

(北極旅行/ポセイドン北極読本9-4)