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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

歴史

歴史(HISTORY)

 

奇妙なことに、スネアーズ諸島は1791年11月23日にジョージバンクーバー船長指揮のHMSディスカバリー号と中尉ウィリアム・R・ブロートン指揮のHMSチャタム号の2隻の船によってそれぞれ発見されました。バンクーバー船長は島が船積みには危険であると考えたため、島々を「スネアーズ」と名付けました。ウエスタンチェインの東の島はジョージバンクーバーにちなんでバンクーバーロック、2番目に大きい島はブロートン中尉にちなんでブロートン島と名付けられました。彼らが島を発見する前から島々はすでにマオリ族に知られており、スネアーズ諸島1番大きな島の1つはテ・タニワ(海の怪物)と呼ばれています。19世紀の捕鯨とアザラシ漁の影響を大きく受けた他の亜南極諸島とは異なり、ニュージーランドで手つかずの自然が残されたままの地域の一つです。

 

スネアーズ諸島は、外来種の影響を受けない唯一の亜南極島群です。そして、かつて捕鯨やアザラシ漁の基地、農地として使われていた他の島々とは異なり、人間が滅多に訪れず、人間が住んだことがない地域です。

 

19世紀半ば、アザラシ猟の船がオーストラリアから南に向かって航行し、亜南極の豊かな猟場に向かいました。タスマン海を航行中に、船の内部で4人の密航者が発見されました。彼らはオーストラリアの刑務所から脱走した有罪判決の囚人であることが判明しましたが、アザラシ猟師は屈強な彼らの力を借りるため、また航行の遅延を避けるために、4人の囚人は猟師一団に入れられました。

4人を発見した直後、アザラシ猟師は食料が不足しそうなことに気付きました。そこで船長は、さらに南の目的地に航行を続ける間、4人の囚人を近くのスネアーズ諸島のアザラシの群れの世話をさせるという決定を下しました。「数週間後にもう一度迎えに戻ってきます。どうだろう?」と船長は尋ねました。4人の囚人は、なぜか喜び、バトンとトライポット(鯨油精製器 アザラシの脂肪層を沸騰させる機械)を持ち、スネアーズ諸島に上陸しました。彼らはまだ過酷な仕事を始めることになるとは知る由もありませんでした。

 

船はすぐに4人を島に残しアザラシ猟師たちは地平線上に去っていったので、そんなことを知ることもなく彼らはきっと幸せに手を振ったことでしょう。

 

5年後、別のアザラシ猟師がスネアーズ諸島で途中下船しました。突然3人のひげを生やしたぼろぼろな男達が茂みの中から飛び出てきた時、漁師たちは驚きました。寛大にも、彼らはニュージーランド本土に連れて行かれましたが、そこで彼らはいくつかの問題を引き起こしました。どうやら、4人のうちの1人が、島にいる間に気が狂ってしまったようで、他の3人は、このままよりは、彼を崖に投げてしまうほうがより良いだろうと決心したのです。しかし、ニュージーランドの裁判所は意見を受け入れず、3人全員を殺人罪で起訴しました。

 

(南極旅行/ロス海・亜南極9-2)