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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

歴史

歴史(HISTORY)

 

グンビョルン・ウルフソンはノルウェーからアイスランドへの航海中にコースから流されてしまった際にグリーンランドを発見した最初のヨーロッパ人でした。ヴァイキングは羅針盤(方位磁針)を知らなかったため、航海の際には太陽の位置を利用していましたが、太陽が雲に隠れてしまうこともありました。986年、過失致死罪のためにアイスランドから追放されたエイリーク・ソルヴァルズソン(別名、赤毛のエイリーク)が島に定住しました。グリーンランドと名前を付けたのは彼でした。エイリークの時代は比較的穏やかな気候で、現代の気候とほぼ似ていたとしても、グリーンランドという名前は悪い冗談のように思えます。彼は島の植民地化を進めるために故意に仲間をだましたかもしれません。グリーンランドの大部分は氷に覆われているので、アイスランドという名前の方がふさわしいでしょう。島の野生生物と植生は、海岸近くの比較的狭い無氷地帯に集中しています。

 

赤毛のエイリークの像(カシアスク)

 

赤毛のエイリークに続く入植者たちはフィヨルドの海岸の2か所に定住し、島の奥深くに達しました。ヴァイキングのグリーンランド全盛期には、島には人口が数千人いたようです。考古学者は300世帯以上の遺跡と14の教会を発見しました。グリーンランド人は1000年にアイスランドの住民と同時にキリスト教を採用しました。ノルウェー王の支配権を受け入れた1261年までグリーンランドは独立した共和国でした。ノルウェーは1536年にデンマークと連合を結び、グリーンランドは正式にデンマークの領土となりましたが、島の誰もが支配国が変わったことを知りませんでした。ヨーロッパとの交流はずっと以前に終わっていて、この時点ではおそらくヴァイキングはグリーンランドにいなかったでしょう。ヴァイキングの入植地は無人で、なぜ、どこへすべての住民が姿を消したのか今日まで誰も正確にわかっていません。現在、ヴァルセイ教会の遺跡だけが、そこに500年間住んでいたヴァイキングの記念碑となっています。

 

ブラッターフリーズ教会の複製(カシアスク)

 

ヴァイキングの失踪は、いわゆる小氷河時代(約900年前に始まった長期にわたる世界的な寒波)と関連していると考えられています。数世紀の間、ヴァイキングは島の希少な資源を最大限に活用して生き残ろうとしていました。彼らの経済は家畜と海洋哺乳類の集団狩猟の組み合わせが基本だったようです。ヴァイキングがグリーンランドに入植し始めた頃、アラスカに住んでいた現代のイヌイットの祖先は北アメリカの北極圏の海岸全体に広がり始めていました。彼らは約1300年までにグリーンランドに到着しました。

 

1721年、デンマークの宣教師ハンス・エゲデは同胞を見つけてルター派へ改宗させるためにグリーンランドに向かいました。もちろん、彼はそこで誰も見つけることはできませんでした。それにもかかわらず、彼はゴットホープ(現在のグリーンランドの首都ヌーク)を設立し、イヌイットにキリスト教を説きました。これはヨーロッパ人によるグリーンランドの再植民地化の始まりでした。

 

12世紀の石造り教会(ハバルセイ)

 

島の広大な内陸部は1888年まで未踏査でしたが、この年にフリチョフ・ナンセンと彼のチームが41日間かけ、初めて島を東から西への横断に成功しました。これは若い探検家にとって初めての重要な探検であり、彼の同世代の多くは彼の計画を自殺的だと考えていました。20世紀になろうとする頃、ロバート・ピアリーは北極点に挑戦する準備をしながら、グリーンランドの北西海岸を探検しました。

 

第二次世界大戦中、デンマークがナチスに占領されたとき、グリーンランドは米国に保護されました。戦後アメリカはグリーンランドでの存在を維持しました。 現在でも島の北西部にあるチューレ空軍基地は米国の防衛の重要な要素です。

 

(北極旅行/ポセイドン北極読本5-1)