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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

サウスジョージア島

ナイフでスイスアルプスの高い山並みの尾根の下、大きな氷河が下の谷に落ちる辺りに沿って切り分けて、上のクリームがしたたり落ちるまま海に落とす場面を想像できたら、この場所をほぼ正確に表していると思う。
なぜなら、長くて細長い、そしていたるところ雪に覆われた山々がいきなり海から、最高2200mの高さがある島の中心近くまでそびえているからだ。遠くから見る早春のサウスジョージアは息をのむような美しさで、なかなか忘れられるものではない。

ニール・ランキン(1946)

無題

サウスジョージア発見の歴史はとても面白い物語です。
1675年、ロンドン商人、アントン・デラロシュを乗せた船がホーン岬を回る際に嵐に吹かれて航路から大きく逸れ、大きな島の湾に避難しました。直接の記録は失われてしまいましたが、船は現在のドルガルスキー・フィヨルドに錨をおろしたと思われます。その島が次に登場するのは1756年スペイン船レオン号による記述で、目視したのが聖ピエールの日(7月1日)だったことから、同船のフランス人乗客、デュクロ・ギョが聖ピエール島(Ile de St. Pierre)と名付けました。しかし、最初の上陸は英国人ジェームス・クック船長による第二次世界一周航海の際です。

1775年1月14日、海軍士官候補生トマス・ウィリスが大きな氷山を目撃しました。
船が近づくとそれは島でした。クック船長は現在ウィリス島と名付けられている島と、多くの鳥が見られたことからバード島と名付けた島の間を通り、島の北岸沿いに東に向かって進みました。
17日には、小銃を放ち、国王の名のもとに領有(possession)を宣言して現在のポゼッション湾に上陸しました。
同隊のナチュラリスト、ジョージ・フォースターは、「この新しい領土はオットセイ、ペンギンであふれていて驚きだ。」と記録しています。

クック船長は(伝説的南方大陸を発見したかもしれない)と思いながら海岸沿いに南東に進んで角を回って西を見ると最初に見たウィリス島が見え、実は細長い島を発見したにすぎない事を知ったのです。
その曲がり角の岬は今でもケープ・ディサポイントメント(失望岬)と呼ばれています。クック船長はこの島にほとんど価値を見出しませんでした。
しかし、絶海の孤島であるこの島は実は南半球で重要な場所に位置しているのです。餌が豊富で豊かな海に囲まれたこの島は、膨大な数のオットセイ、アザラシ類、海鳥達の貴重な繁殖場所を提供しているのです。
もっともかつて、この島の沿岸海域で餌を食べていた、たくさんの大型鯨がいた事はいまや夢物語ですが…

クック船長の報告書に目をつけたオットセイ・アザラシ猟師達がやって来てオットセイとゾウアザラシ猟を始めました。
さらに、20世紀始まりと共に捕鯨業者もやって来て陸上基地を建て、2度目の破壊活動である捕鯨産業が始まりました。
捕鯨産業の衰退の後、サウスジョージアでの主要活動は、フォークランド紛争(1982)の際のアルゼンチン軍による短期間不法占拠を除いては科学となりました。今では周辺海域での漁業がサウスジョージアの重要産業となっています。

サウスジョージアは南大洋の宝石箱として大切にされるべきです。
素晴らしく美しく、峨峨とした山並みと雄大な氷河が、ある時は静かな海の水面に細かい部分まで映り、またある時は命も脅かされるほどに荒れる事もあります。
サウスジョージアの海鳥やアザラシの群生地は世界でも数少ない高密度で、しかも容易に近づけるワイルドライフ観察地です。

(南極旅行/サウスジョージア島1)