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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

ロイズ岬(Cape Royds)

ロス島最西端の岬で、海に突き出たコールグレーの岩肌は、有名な探検家アーネスト・シャクルトンの歴史的な小屋の場所でもあります。

 

 

ロイズ岬の遺跡と風景

ロイズ岬は比較的小さな場所ですが、南極の歴史的景観の中で重要な位置を占めています。1908年にアーネスト・シャクルトンとその乗組員によって建てられた探検小屋が保存されており、ロバート・スコットが南極を旅した際に建てた小屋からも32キロメートル程離れています。一方、ロイズ岬の地形には、他に注目すべき場所が2カ所あります。

シャクルトンの小屋の近くにある旗を立てたフラッグスタッフ・ポイントと、海岸線を彩る黒い火山砂から名付けられたブラックスサンド・ビーチです。シャクルトンの乗組員は1908年の冬をロイズ岬で過ごしましたが、この2つの場所は彼らの小屋から歩いて行ける距離にあり、安全な場所であったと思われます。

 

南極探検とロイズ岬

ロイズ岬は、南極探検の初期から注目されてきた場所です。ロバート・スコットが率いる1901年から1904年のディスカバリー探検隊によって初めて発見されたロイズ岬は、南極探検家にとって常に天候が最大の関心事であったことを裏付けるものです。

この地名は、探検隊の気象学者であった英国海軍中尉チャールズ・ロイズにちなんで付けられました。しかし、この場所は、遠征隊の気象学者を務めたイギリス海軍中尉であるチャールズ・ロイズにちなんで名付けられました。

数年後、シャクルトンの 1907~1909 年の英国南極探検(ニムロド探検)中に、永続的な人間の建造物がロイズ岬に建設されました。その数年後、1907年から1909年にかけて行われたシャクルトンの英国南極探検(ニムロド遠征)で、ロイズ岬に人の手が加えられるようになりました。

 

ロイズ岬の歴史:シャクルトンの小屋

キング・エドワード7世ランドに上陸できなかったシャクルトンは、1908年にマクマード・サウンドに向けて出航しました。彼は、乗組員が冬を越せるような住居を建てるのに適した場所を探し、最終的にロイズ岬に決めました。ロイズ岬は、数年前にスコットとその乗組員が小屋を建てたハット岬から約37km離れた場所にあります。

シャクルトンたちは翌年の春にロイズ岬を離れ、1910年になって再び彼らの小屋を訪れることになりました。シャクルトン探検隊の元隊員、レイモンド・プリーストリーが小屋に入ると、2年前に彼と仲間が置いていった物資がそのまま残っていました。

ビスケットさえもまだ新鮮でした。それから約100年後の2006年、小屋の下からマッキンレー・ウィスキーの木箱5個が発見されました。そのうちの1つは、現在、ニュージーランドの博物館に保管されています。

 

ロイズ岬のアデリーペンギン

ロス海の大部分を巨大な棚氷が占めるマクマード・サウンドには、氷に囲まれた外洋域がいくつもあります。この海域はポリニヤと呼ばれ、世界で最も南に位置するアデリーペンギンの生息地として知られています。

ペンギンはこのポリニヤ*に依存しており、ポリニヤがあることで魚にアクセスしやすくなっています。このアデリーペンギンの営巣地があることから、ロイズ岬のかなりの部分が南極特別保護区に指定されており、シャクルトンの小屋もそこも位置しています。

※ポリニヤとは、氷に囲まれた開水面あるいは薄氷域のことです。

 

 

【南極旅行/オーシャンワイド南極の手引き】

 

 

 

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