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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

捕鯨植民地の創設

捕鯨植民地の創設(Founding of the Whaling Settlement)

 

1849年8月、最初の船が出発しました。イギリスはオークランド島で捕鯨植民地を創設するために、副総督、医療関係者、事務員、測量士、店主、レンガ職人、石工、農業者、労働者そして16人の女性と14人の子供を連れて来ました。翌12月に目的地に到着すると、すぐに作業が開始されました。エンダービーは会社が建築した12部屋ある家を提供されました。また25戸の家と店舗も建設され、やがて捕鯨が始まりました。

 

植民地が設立して約10ヶ月が過ぎた頃、エンダービーがアールグレイに書いた手紙には島のすべての住民(72名)が健康で楽しんでいると記述していました。ホバートタウンから持ち込んだスグリや小さな実の植物が6月には葉が出始めたという事実から、気候は予想していたほど厳しくはないことがわかります。

 

翌年6月、エンダービーは南洋捕鯨会社の取締役に手紙で次のことを伝えました。ニュージーランドのブラックドッグへ行く意図があり、訪問の目的のひとつは牧師を聖職者としてポートロスに居住してもらうよう司教と話し合うこと、また辞任したキング氏の代わりにエンダービーをサポートする医療関係者を得ることでした。委員会はまた、12人が島を去ろうとしていると述べました。残りは 95人になります。食用動物として島民に提供するには週に12匹の羊が必要です。ニュージーランドにいる間、彼は300匹の羊を購入しようとしていましたが、適正な条件で購入することができなかったので、ニューホランド(昔のオーストラリア大陸の呼び方)の東海岸にあるツーフォールド湾に向かいました。

 

エンダービーは8月29日にニュージーランドのオークランドに到着した後、オーストラリアに向け航海しました。そこで羊の他や必要と思われる店を確保し10月16日、ポートロスへ向けシドニーを出港しました。

 

エンダービーが見積もった店舗の数は、小規模な植民地の割に贅沢だったかもしれません。デイキン博士はロバート・タウンズ(シドニーの船主でありロンドンカンパニーの代理人でもありました)のいくつかの古い手紙に目を通すと、タウンズは注文された店舗の数に驚き「注文の1割は、送ることができない」と述べていました。

 

(南極旅行/ロス海・亜南極4-2-2)