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南極クルーズ・北極クルーズの手引き

ロシア式のホスピタリティ – ベリングスハウゼン提督

ロシア式のホスピタリティ – ベリングスハウゼン提督(Hospitality Russian Style – Admiral Bellingshausen)

 

タッデーウス・ベリングスハウゼン提督は、ボストーク号とミルヌイ号の指揮官として、1819~1821年にかけて南の海を航海し、世界周航中に南極大陸を発見しました。1820年後半、ベリングスハウゼンは、マッコーリー島を訪れました。この時、船の水が少なくなり、ベリングスハウゼンの乗組員は、水を集めるために樽を持って上陸しました。ロシアの船員が上陸してる時、アザラシ猟の一行が、ボストーク号へ向かっていました。この男たちは、ポート・ジャクソン湾から来ており、マッコーリー島に6ヶ月以上滞在していました。

彼らは、全ての樽をゾウアザラシの油で観たし、過去4ヶ月の間、働くことが出来ていませんでした。また食料も不足していました。アザラシ猟の男たちは、大喜びでベリングスハウゼンが提供する、ビスケットやバター、グロッグ(ラム酒の水割り)を受け取りました。

 

食事と1、2杯の酒を飲んだ後、アザラシ猟師たちは上機嫌になり、親切に、ロシア人に、何処で真水を取れるか教えました。また彼らは、船の水樽を満たす手伝いも申し出ました。上陸したロシア人は、マッコーリー島のペンギンとアザラシが人間を恐れていないことに驚きました。彼らは、ペンギンは、邪魔にならないことと脇へ押しやる必要があると伝えました。

 

ザヴォドフスキーが、ゾウアザラシを銃で打った時、他のゾウアザラシは、口を開け吠え、その後再び眠りについたのに驚きました。1つの場所から移動することもなく、他の乗組員のデミドフは、ミズナギドリなどの海鳥を20羽撃ち落としていました。海岸の一行は、羽毛がフサフサの子供ペンギン、数匹の大人のペンギン、また卵や草、石、若いゾウアザラシの皮、脂肪、様々なカモメやオウムを集めていました。

 

アザラシ猟の男たちがボストーク号に乗っていた間、血に覆われた大きなゾウアザラシが船を横切って泳いでいきました。おそらくザヴォドフスキーに撃たれたアザラシだったかも知れません。ベリングスハウゼンは、船に装備しているボートで負傷したアザラシを追いかけようとしましたが、アザラシ猟師は、水中でアザラシを仕留めるのは不可能だと彼に伝えました。そして彼は、海岸にいるアザラシから自分の物を選ぶことにしました。

 

その夜、ボストーク号とミルヌイ号は、真水を求めてマッコーリー島の海岸に沿って、北北東に向けて出港しました。その夜の10時頃、両船の乗組員は、2回もの激しい衝撃を感じました。ボストーク号に乗っていたベリングスハウゼンは、船がサンゴ礁にぶつかり損傷したのではないかと心配しました。彼は、水深を調べましたが、船底から海の底は、近くないことが分かりました。

その後、ボストーク号は、眠っているクジラとぶつかったか、海底の海嶺に触れたのではないかと考えました。ミルヌイ号の乗組員も衝撃を感じていたと話しを聞き、ベリングスハウゼンは、地震を経験したと気づきました。そしてベリングスハウゼンは、他の3名の士官と共に、手漕ぎボートで上陸し、博物学者の鋭い目でアザラシ漁師たちの悲惨な生活を目にしました。

 

アザラシ猟の親方は、私たちを小屋に招待してくれました。小屋は、長さ約6m、幅約3mの広さでした。内側はアザラシの皮で覆われ、外側は、島に生えてる芝の一種で覆われています。端には暖炉があり、常に明かりが灯っていました。木材や石炭が手に入らないため、暖炉には、ゾウアザラシの脂肪を燃やして、融けた脂肪を明かりとして使っていました。暖炉の横には、ベッドがありました。小屋の他の場所には、食料が保管されていました。小屋の中は、ランプの光がくすぶる煙でとても黒く、暗らく、皮が張り巡らされた壁の穴からは、内部をほとんど照らされていませんでした。私たちが、光に慣れるまで、アザラシ猟師は、手で導かなければならないほどでした。彼らは、腐肉やペンギンの卵を食べていました。それは新鮮なクロライチョウの様な味がして、とても美味しかったです。ベリングスハウゼンは、「アザラシ猟師たちは、海鳥、若いゾウアザラシの足ヒレ、ペンギン及びその他、海鳥の卵、マッコーリーキャベツを食べていた」と書き残しました。また彼は以下のように述べました。

 

いわゆる野生のキャベツと呼ばれるものは、島全体に豊富に生えており、間違いなく効果的に栄養を取れるものです。際立って他の植物と木の葉が濃い色になり区別されます。幅広い葉が水平に伸び、葉の縁は、細かいギザギザがあり、上部が暗く、下部が明るい色となっています。茎は約30cm、葉のように毛で覆われています。茎の中央の花は、カリフラワーのように白色をしています。根は、深さ約5cmで、大部分は、地面にあり、薄い吸枝は、大地へ成長しています。根は、キャベツの香りに似ています。アザラシ猟師は、茎と根を擦り、細かく切り、スープを作っています。私たちは、これらのキャベツをたくさん取り、乗組員が使えるように保存しました。また、根は、士官たちの会食の為に漬物にしました。そして私たちは、保存したキャベツを使い、とても美味しいシチー(ロシアのキャベツスープ)を作りました。

 

ベリングスハウゼンは、アザラシ猟師が、長さ約1m、厚さ約5cmこん棒で叩くところを見ていました。端には、直径10~12cmのベル型の鉄が縛ってあり、鋭い釘を散りばめていました。アザラシを叩いた後、猟師は、ナイフで喉を切り裂きます「かわいそうな動物が苦しんでいるのは、あまりにも哀れな光景でした」そして、アザラシ猟師は、ゾウアザラシの心臓を突き刺しました。眠っている動物を殺した男たちは、ナイフで脂肪を切り、ボイラーに入れ、石の上に置き、その下には、同じ脂肪の塊で火をつけ燃やしています。そしてボイラーから出る油を樽に注ぎ込みます。そして一部はニューサウスウェールズに送られ、残りはイギリスに送られます。現地では、非常に良い報酬額とされています。

 

ロシア人士官の1人は、アザラシ猟師がペットにしたいという犬を置いていきました。また、ベリングスハウゼンは、小さなパラキートを見たことを報告しています。ロシア人たちは、捕獲した2羽のアホウドリと20羽の死んだオウムと生きている1羽のオウムを持って船に戻りました。アザラシ猟師は、これらをベリンスハウゼンに提供し、引き換えに3本のラム酒ボトルを受け取りました。

 

ベリングスハウゼンは、アザラシ猟師が届けると約束していた大きなゾウアザラシの皮を持ち帰りたかったため、マッコーリー島の出発を遅らせていました。最終的に彼は、乗組員をボートで上陸させ、アザラシ猟師と話をしました。ベリングスハウゼンは、船員が水の樽を持って帰るのを期待していましたが、その代わりに3本のラム酒ボトルと交換したゾウアザラシの脂身を持って帰ってきました。

 

爽やかな風の中、アザラシ猟師は、捕鯨ボートを漕いで、アザラシの皮をミルヌイ号へ届けようとしました。しかしこれは危険な行為でした、なぜなら霧が出て、小雨が降ると視界が悪くなるからです。ベリングスハウゼンは、アザラシ猟師にコンパスを渡し、岸に戻るときに、正しい方向へ行けるように彼らに示しました。そして彼らは、アザラシ猟師の手漕ぎボートに、追加の食料とラム酒を積み込み、アザラシ猟師は岸へと戻りました。きっとアザラシ猟師たちは、ロシア人のホスピタリティを非常に喜んだことでしょう。

 

(南極旅行/ロス海・亜南極8-2-1)